12月のカレンダー
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おしらせ
今日のブログ
新月の日に、神社へ行く
私は、毎月新月の日に神社へ行っている。
特別な儀式があるわけでもなく、誰かに教えられた習慣でもない。
新月の日に神社へ行き、静かに手を合わせる。
それだけのことだ。
何かを願うためではない。
むしろ、願わないために行っている。

本との出会い・思想の入口
この習慣の背景には、さとうみつろうさんの『悪魔とのおしゃべり』という本がある。
(誰かに教えられた習慣ぢゃね〜か。という声も聞こえてきそうだが、、、うるさい。)
本の終盤に、新月の日に神社へ行く、という話が出てくる。
そこに書かれていたのは、願いを叶える方法ではなく、一度、自分の中の「形」をなくすという感覚だった。
本の中で、「形」という漢字の話が出てくる。
細かな字源を正確に説明できるほど、私は覚えていない。
ただ、今も強く残っているイメージがある。
形という字の左側は、鳥居のようなものだという捉え方だ。
鳥居をくぐると、内と外が分かれる。
こちら側と、あちら側が分かれる。
鳥居の内側では、善も悪も、正しいも間違いも、まだ決まっていない。
一度、形がなくなる。
そして鳥居の外に出ると、また形が与えられる。
名前がつき、意味がつき、正しさや評価が生まれる。
新しい形を持つためには、一度、形を失う必要がある。
私はこの話を、そう受け取った。
正しさを、いったん崩す
では、「形を失う」とは何か。
それは、悪を正すことではない。
間違いを叩くことでもない。
本の中で語られていたのは、悪をただ赦(ゆる)すという態度だった。
赦すというのは、良いことにすることでも、正当化することでもない。
ただ、裁かない。
敵にしない。
今すぐ答えを出さない。
そうすることで、自分の中にあった「正しい(と思いこんでいる)形」が、少しずつ崩れていく。
嫌いな人に、ほんの一歩だけ歩み寄る。
許せない出来事を、結論を出さずに置いておく。
嫌なことを、無理に意味づけせず、そのまま受け入れる。
悪いことを一度崩し、時間をかけて、別の形へと変えていく。
願わない新月
そのために、月のリズムを使う。
月は、旧暦一日、新月の日に、いったん「形なきもの」になる。
空には月が見えない。
そして満月の日に、再び、はっきりとした形を持つ。
無 → 形 → 無 → 形。
その繰り返し。
新しい形を手に入れるとき、願ってはいけない。
願いとは、まだ信じきれていない者の態度だからだ。
幸せを感じている人は、幸せになりたいとは願わない。
今の自分が幸せでないと信じているから、幸せになりたいと願うのだ。
自分はお金持ちじゃないから、お金持ちになりたいと願うのだ。
だから信じているものは、願わない。
神社に入ったら願うのではなく、ただ最初に、「ありがとう」を置く。
そうすると、足りないものではなく、すでに満ちているものに、目が向き始める。
「 ありがとう。 私には◯◯がある。」
新月は、何かを足す日ではなく、一度、無になる日なのだと思っている。
これは嘘だ
ここまで読んで、もし妻がこのブログを読んだら、きっとこう思うだろう。
「え?この人、習慣的に神社なんて行ってないやん。嘘書いてるやん。」
……たしかに、そうだ。
ここに書いていることは、嘘だ。
でも、嘘とも言い切れない。
なぜなら私は、夢の中では、毎月新月の日に神社へお参りをしているからだ。
もう何度も、新月の日に神社へ向かい、鳥居をくぐり、何も願わずに立っている。
それを、これから現実にしていくだけの話だ。
宣言は力に変わる
そして、こうしてブログに書いている理由は、もうひとつある。
それは、宣言してしまった方が、人は動けると知っているからだ。
人は、自分との約束より、他者との約束の方が守りやすい。
このブログに書いた以上、私はもう「やっていない自分」を知らないふりはできない。
これは、意志の強さに頼るための習慣ではない。
意志の弱さを前提にした習慣だ。
他者との約束という形に変えることで、実行する力へと変えている。
私は、毎月新月の日に神社へ行く。
それは、もうやっていることでもあり、これから現実にしていくことでもある。
一度、形を手放し、また新しい形を受け取る。
その繰り返しを、私はこれからも続けていく。
そして、この習慣に私の家族も無理やりに付き合わす。
これがニーベ教だ。
さぁ、 12月の新月の日は、20日の土曜日だぞ。
1日1問(挑戦してね)
そろそろ、この国試問題も再会せねば。。。










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