この記事の要薬
私たちは無意識の「観念(思い込み)」によって感情を選び、世界を見ています。
感情は勝手に湧くのではなく、観念を守るために選ばれている反応です。
変えようとせず、ただ気づくだけで、感情は自然と力を失っていきます。
私たちはよく、「変わらなければならない」、「この考え方をやめなければならない」と思いがちです。
でも実際には、無理に変えようとするほど、苦しくなるということも少なくありません。
私自身、学びと実践、そして治療の現場を通して、ひとつ確信していることがあります。
それは、
「変えようとしなくていい。気づくだけでいい。」
ということです。
気づくことと、変えようとすることは違う
嫌な感情が湧いてきたとき。
不安、怒り、悲しみ、焦り。
そして、感情に振り回されそうになるとき。
私たちはつい、
と思ってしまいます。
でも、それらはすべて「変えようとする力」です。
一方で、気づくとはこういうことです。
あ、今、“自分の中の思い込み”が強く働いているな。
気づくとは、それだけ。
評価も、修正も、反省もいりません。
観念(思い込み)は、消すものではない
東洋思想や心理の世界では、「観念(思い込み)」という言葉があります。
それは決して悪いものではありません。
かつては、必要だった考え方です。
だから、無理に消そうとしなくていい。
戦わなくていい。
ただ、
今は、役に立たない観念かもしれないな。
と、気づくだけでいいのです。
気づくと、勝手に薄れていく
不思議なことですが、
ただ気づいていると、その思考や感情は自然と力を失っていきます。
これは理屈ではなく、私自身が日々の中で何度も体感してきたことです。
感情に振り回されそうなときこそ
感情が大きく揺れるときほど、人は「自分がダメだ」と思いがちです。
でも、そうではありません。
今は私の観念が強く働いているだけ。観念が前に出てきているだけ。
そう気づけると、感情の渦の中に飲み込まれずに済みます。
一歩引いたところから、自分を見られるようになります。
観念に気づくための具体例
観念が強ければ強いほど、人は感情に振り回されやすくなります。
怒りや悲しみ、不安といった感情が強く出ているときほど、そこにはたいてい強い観念(思い込み)が隠れています。
だからこそ、感情に振り回されているときは、「自分がダメだ」と責める時間ではなく、観念を見直す良い機会でもあります。
例えば、こんな場面
たとえば、パートナーからこんなことを言われたとします。
「最近、家のこと、あんまり何もしてくれないよね。」

この一言を聞いた瞬間、胸の奥がザワッとして、怒りが込み上げてきたとします。
そのとき、私たちはつい「相手が悪い」「言い方がきつい」「そんなこと無いだろ」と思いがちです。
でも、少し立ち止まってみます。
その怒りの奥にあるもの
その怒りの裏側には、こんな観念が隠れているかもしれません。
もし、「自分はちゃんとできていなければいけない」という観念が強くあると、現実(指摘された事実)と理想(ちゃんとした自分)とのあいだにギャップが生まれます。
そのギャップを埋めるために、人は無意識に「怒り」という感情を選択します。
怒ることで、
これは悪いことではありません。
その瞬間の自分を守るための、自然な反応です。
感情は「湧き出るもの」ではなく、「選んでいるもの」
ここで、誤解のないように大切なことをひとつお伝えします。
「感情を選んでいる」と言っても、意志の力でコントロールできるとか、怒るあなたが悪い、という意味ではありません。
ここで言う「選択」とは、無意識の中で起きている反応のことです。
同じ言葉をかけられても、
がいるように、出来事そのものが感情を決めているわけではありません。
その出来事を、どんな観念で受け取ったか。
それによって、感情が選ばれています。
「あなたのせいで怒った」と感じることは自然ですが、構造として見ると、
その出来事に対して、自分は“怒り”という反応を無意識に選んでいた。
ということになります。
だから、相手を責めなくていい。
自分を責めなくていい。
ただ、
あ、今、自分は「怒り」の感情を選んでいるんだな。
と、気づくだけでいいのです。
気づきが生む、小さな自由
「感情を選んでいる」と気づいたからといって、次の瞬間から怒らなくなるわけではありません。
それでいいのです。
大切なのは、
あ、今、自分は怒りを選んでいるんだな。
と、一瞬気づけること。
その一瞬があるだけで、
ほんの少しの自由な余白が生まれます。
感情を否定しなくていい
怒りを選んでいるからといって、それが悪いわけではありません。
怒りは、
大切な役割を持っています。
だから、
ただ、選んでいることに気づくだけでいい。
感情は「間違い」ではない
怒りや悲しみ、不安は、決して間違いではありません。
それらは、今どこに強い観念があるのかを教えてくれるサインです。
だから、
それは失敗ではなく、自分を知るチャンスです。
自分の見たい世界を見ているということ
人はしばしば、自分が「見たい世界」を見ています。
これは、量子力学における観測者効果に似た話でもあり、心の働きとしても正しい面があります。
無意識のうちに、自分が見たいものに意識が向き、それに基づいて世界を感じています。
その結果、
ということが起こります。
この考え方は、以前書いた以下の記事でも触れています。
▶︎ 小さな幸せを受け取る才能について(観念と世界の関係)
「見たい世界を見ている」という仕組みを理解すると、気づくことの大切さがより腹に落ちます。
気づくこと自体が、人生を変えるわけではありませんが、視点そのものを柔らかくする入り口になります。
気づきを支えてくれる「香り」という存在
忙しい日常の中では、頭で考えることが先に立ち、身体の感覚から離れてしまいがちです。
そんなとき、香りはとてもやさしい助けになります。
香りは、考えを止めようとしなくても、自然と「今ここ」に意識を戻してくれます。
私は、この“気づきやすさ”を助ける養生として、薬香(やくこう)という方法を治療院でもご提案しています。
薬香については、別のページで詳しくまとめています。
▶︎ 薬香(やくこう)について
最後に
人は皆、何かしらの「信念」や「前提」を持って生きています。
それは、宗教という形をとることもあれば、価値観、常識、思い込みという形のこともあります。
それらは本来、生きるための“支え”として身につけてきたものです。
でも、その信念が、
と感じるなら、無理に守り続ける必要はありません。
信じ続けるかどうかは、誰かに決めてもらうものではなく、自分で選び直していいものです。
大切なのは、正しいかどうかではなく、今の自分にとって役に立っているかどうか。
役に立たなくなった信念は、戦って捨てる必要もありません。
(逆に捨てようと思っても捨てられません。)
ただ、
あ、これはもう今の自分には合っていないかもしれないな。
そう気づくだけでいい。
変えようとしなくていい。
消そうとしなくていい。
良くなろうとしなくていい。
ただ、気づく。
それだけで、人は少しずつ自由になっていきます。
これは、私自身が学び、実践し、治療の現場でも感じてきたことです。









