
今日のブログ
新年、明けましておめでとうございます。
本年はブログの更新頻度を少しだけ上げて、読んでくださる皆さまに、クスッとしたり、ふと立ち止まったりしてもらえるような文章を書いていけたらと思っています。
どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。
このブログは、基本的には自分のための備忘録です。
思ったこと、考えたこと、そのままを書いています。
それでもありがたいことに、年に2人くらいからは、こんな言葉をいただきます。
・読んで元気をもらいました
・考え方が参考になりました
・少し前向きになれました。
……年に2人ぐらいです。
アンタ、今、笑ったろ。
でも、だからこそ続けられています。
少人数しか助けられていない、のではなくて、少人数でも「助かった」と感じてくれる人がいる。
それ以上に、続ける理由はありません。
ちなみに昨年は、たくさんの方に読んでいただいたおかげで、ブログ収入が 1,200円 ありました。
年間でっせ。
月にすると 120円 でっせ。
でも、稼げているということは、私はもう プロ です。
ブロガーです。
なんだよ。
なめんなよ。(※誰もなめてないか)
さて、新年一発目のブログは、「12月31日、年が変わる直前に頭に舞い降りてきた悟り」について書いてみようと思います。
最近のブログは、気づけば人間関係、とくに家族や夫婦の話題が多くなっています。
たぶんそれは、一番身近で、一番感情が動き、そして一番ごまかしがきかない場所だからだと思います。
願っている限り、叶わない。
その日、ふと思ったのはこんなことでした。
家族みんなが笑って過ごしたい。
穏やかで、仲良く、安心できる時間を過ごしたい。
そう「願った」瞬間、”家族みんなが仲の悪い状態”を体験しなければならないのではないか、と。
これは、『神様とのおしゃべり』に書かれていた考え方に、妙に腑に落ちた瞬間でした。
願う、という行為は、「今はそれがない」と宣言しているのと同じ。
しかもそれは勘違いである事が多い。
健康を願うのは、健康でないから。
仲良しを願うのは、仲良くないから。
お金持ちを願うのは、お金持ちではないから。
つまり私は、「家族が穏やかでない」という前提に自分から立ち続けていたのかもしれません。
しかも以前のブログでは、「願ってはいけない」なんて偉そうに書いていたのに、当の本人が、思いきり願っていました。
これはもう、笑うしかありません。
じゃあ、どうすればいいのか。
答えはとてもシンプルでした。
願わない。
感謝する。
今あるものに、目を向ける。
足りないところではなく、もう既にあるところを見る。
なぜ露天風呂は、あんなに気持ちいいのか。
それは、身体が冷えているからであり、疲れているからです。
もし一切疲れていなかったら、露天風呂はただの「ぬるいお湯」です。
そう考えると、不足している状態そのものにも、感謝ができる気がしてきます。
だって、不足がなければ、充足を感じることはできない のだから。
寒いから、温かさがわかる。
疲れているから、休息が沁みる。
うまくいかないから、うまくいった時が嬉しい。
すべては、セットなのかもしれません。
学びを活かす場面、間違えてます
頭では、そう理解しているつもりなのですが。
いざ、夫婦で意見がぶつかった時。
喧嘩になった時。
「ここだ。ここで学びを活かすんだ」
と、妙に冷静な自分が顔を出します。
結果どうなるか。
妻の怒りを、見事に逆撫でします。
知識が、もはや油です。
火に油を注いでいます。
そりゃ燃えます。
学びは、相手を説得するためのものじゃなくて、自分を静かにするためのものだったんだと、あとから気づくのです。
今年もまた、失敗して、学んで、ときどき勘違いして、それでも書き続けていこうと思います。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
2026/01/02 19:45
スーパー先生で妻を待つ時間にて執筆








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