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今日のブログ
今回の日記は風邪気味のせいなのか、詩人みたいな文章になってしまった。
昨夜は、最高に気持ちのいい夜だった。
何がそんなに気持ちよかったのか。
高級な酒を飲んだわけでもない。
温泉に浸かったわけでもない。
ましてや、何か特別な出来事があったわけでもない。
その理由は、「風」だった。
ただの、夜風だ。
寝室に流れる風。
部屋の両側にある窓を開けると、一方から入ってきた風が、部屋の中をすうっと通り抜けて、反対側へ抜けていく。
少しだけ冷たくて、少し湿っていて、それでいて肌にまとわりつかない。
なんとも言えず、気持ちがいい。
「ああ、風って、こんなに気持ちよかったんだな」
そんな当たり前のことを、昨夜は布団の中で、妙にしみじみと思った。

今年の夏も暑かった。
もちろん、家にはエアコンがある。現代文明の偉大な発明である。
ボタンを一つ押せば、真夏の大阪でも室温を26度にしてくれる。文句を言う筋合いなどまったくない。エアコンには毎夏、命を救ってもらっているくらいだ。
ただ、不思議なもので。
同じ「涼しい」でも、エアコンの風と、窓から入ってくる風は、どこか違う。
エアコンの風が悪いわけではない。むしろ非常に優秀だ。しかし昨夜の風には、機械には作れない何かがあった。
温度も湿度も、風の強さも一定ではない。
強くなったり、止まったり。
少し冷たくなったと思えば、またぬるくなったりする。
不均一だからこそ、気持ちがいいのか。
人間の身体も自然の一部なのだから、もしかすると、完全に管理された環境より、こういう少し気まぐれなものの方が肌に馴染むのかもしれない。
昨夜は、季節と身体の歯車が、たまたまぴたりと噛み合ったような感じがした。
大げさに言えば、身体中の細胞が、「これです」と言っていた。
エヴァンゲリオン的に言えばシンクロ率が♾️(無限大)状態と言おうか。
そして、そんな夜風に吹かれながら、昔のことを思い出した。
子どもが生まれる前は、妻とよく庭でBBQをしていた。
「よく」というレベルではない。
一時期は週5くらいやっていた。
アパートに住んでいた時はベランダで焼き鳥(煙がすごいねん)をするというほどの非常識さもある。
もはやBBQ好きというより、ほぼ屋外生活者である。
季節なんて関係ない。夏も冬もBBQ。
仕事が終わったら庭に出て、肉を焼いて、お酒を飲んで、くだらない話をする。







何時までに寝かしつけなければいけないということもない。
永遠に抱っこする必要もない。
途中で誰かが泣き出すこともない。
夫婦二人だけの夜は、今思えばずいぶん贅沢な時間だった。
そして子どもが生まれた。
毎夜、寝かしつけという名の小さな戦争が始まった。
ようやく静かになったと思ったら、自分も一緒に寝落ちしている。
夫婦二人で庭に出て、ゆっくり酒を飲むなんてことは、ほとんどなくなった。
そういえば今年、BBQを一回もしていない。
かつて週5だった夫婦が、年間0回である。
人生は分からない。
でも、昨夜の風に吹かれながら、ふと思った。
BBQができなくなったからこそ、次にできた夜は、きっと昔より楽しい。
たぶん、肉は同じ味だ。
ビールだって同じ銘柄だろう。
庭も同じ庭だ。
でも、感じる幸福はきっと違う。
人間というのは妙なもので、「あるもの」にはすぐ慣れる。
健康なときには、健康であることをほとんど考えない。
ところが風邪をひいて鼻が詰まっただけで、「鼻で息ができるって、なんて幸せなことだったんだ」と思う。
腰を痛めれば、何の苦労もなく靴下を履いていた昨日までの自分が羨ましくなる。
眠れない夜を経験すれば、布団に入ってそのまま朝まで眠れることが、ずいぶん高度な幸福だったと気づく。
そしてきっと、時間も同じなのだと思う。
自由な時間がたくさんあった頃には、それを自由だとも思っていなかった。
妻とゆっくり話せることも。
庭で一緒に酒を飲めることも。
好きな時間に眠れることも。
それがずっと続くものだと思っていた。
当たり前というのは、少し厄介だ。
そこにある間は、ほとんど姿を見せない。
失いかけたときになって初めて、「ああ、ここにいたのか」と気づく。
だから、「幸せになるためには、不幸せが必要なのかもしれない」と少し前から思っていた。
もちろん、本当に大きな不幸まで必要だとは思わない。
できることなら、一生ご遠慮願いたい。
ただ、小さな不自由や、小さな不便や、小さな喪失は、ときどき我々の感覚を研ぎ直してくれる。
見慣れていたものを、もう一度見えるようにしてくれる。
つまり不幸せそのものに価値があるのではなく、
それまで見えていなかった幸せを、不幸せが照らしてくれるのだと思う。
子どもが生まれて、僕たちはずいぶん多くのものを失った。
自由な時間。
静かな夜。
思いつきで出かけること。
夫婦二人だけで過ごす時間。
庭で週5回BBQをするという、今考えれば謎の生活習慣。
でも、その代わりに手に入れたものもある。
昨夜、そのことを考えていたら、急に文章に残しておきたくなった。
忘れないうちに、と夜中にぱっと起き上がり、スマホにメモを打ち始めた。
横を見ると、息子たちが眠っている。
その隣には妻がいる。
暗闇の中でスマホを触っていたものだから、妻が半分眠った声で、
「何やってるの?」
と聞いてきた。
「ちょっとね」
とだけ答えた。
本当は、
「今、幸せについて考えてる」
と言ってもよかったのだけれど、
夜中の1時に突然そんなことを言い出したら、感動されるより先に「アホちゃうか」と言われそうなので、やめておいた。

窓からは、まだ夜風が入っていた。
庭でBBQはしていない。
夫婦でゆっくり酒も飲んでいない。
以前なら当たり前だったものは、今夜は何ひとつない。
でも、横には妻がいて、
二人の息子が眠っている。
考えてみれば、
失ったと思っていたものよりも、
ずっと大きなものが増えていた。
幸せというものは、案外こういうものなのかもしれない。
何かを手に入れた瞬間に大きな音を立ててやって来るのではなく、
いつの間にか日常の中に入り込み、
あまりに当たり前の顔をして隣で眠っている。
そして、ときどき吹く夜風が、その存在を思い出させてくれる。






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