よるかぜ(風邪を引くと詩人みたいな日記なった件)

ジョーくん

読んだら拍手ボタンを押してね٩( ᐛ )و

おしらせ

  • 9月は不定休になります。

カレンダーが表示されない場合は、 こちらから営業日カレンダーをご確認ください

今日のブログ

今回の日記は風邪気味のせいなのか、詩人みたいな文章になってしまった。


昨夜は、最高に気持ちのいい夜だった。

何がそんなに気持ちよかったのか。

高級な酒を飲んだわけでもない。
温泉に浸かったわけでもない。
ましてや、何か特別な出来事があったわけでもない。

その理由は、「風」だった

ただの、夜風だ。

部屋の両側にある窓を開けると、一方から入ってきた風が、部屋の中をすうっと通り抜けて、反対側へ抜けていく。

少しだけ冷たくて、少し湿っていて、それでいて肌にまとわりつかない。

なんとも言えず、気持ちがいい。

「ああ、風って、こんなに気持ちよかったんだな」

そんな当たり前のことを、昨夜は妙にしみじみと思った。

今年の夏も暑かった。

もちろん、家にはエアコンがある。現代文明の偉大な発明である。

ボタンを一つ押せば、真夏の大阪でも室温を26度にしてくれる。文句を言う筋合いなどまったくない。エアコンには毎夏、命を救ってもらっているくらいだ。

ただ、不思議なもので。

同じ「涼しい」でも、エアコンの風と、窓から入ってくる風は、どこか違う。

エアコンの風が悪いわけではない。むしろ非常に優秀だ。しかし昨夜の風には、機械には作れない何かがあった。

温度も湿度も、風の強さも一定ではない。

強くなったり、止まったり。
少し冷たくなったと思えば、またぬるくなったりする。

不均一だからこそ、気持ちがいいのか。

人間の身体も自然の一部なのだから、もしかすると、完全に管理された環境より、こういう少し気まぐれなものの方が肌に馴染むのかもしれない。

昨夜は、季節と身体の歯車が、たまたまぴたりと噛み合ったような感じがした。

大げさに言えば、身体中の細胞が、「これです」と言っていた。

エヴァンゲリオン的に言えばシンクロ率が♾️(無限大)状態と言おうか。

そして、そんな夜風に吹かれながら、昔のことを思い出した。

子どもが生まれる前は、妻とよく庭でBBQをしていた。

「よく」というレベルではない。

一時期は週5くらいやっていた。

アパートに住んでいた時はベランダで焼き鳥(煙がすごいねん)をするというほどの非常識さもある。

もはやBBQ好きというより、ほぼ屋外生活者である。

季節なんて関係ない。夏も冬もBBQ。

仕事が終わったら庭に出て、肉を焼いて、お酒を飲んで、くだらない話をする。

何時までに寝かしつけなければいけないということもない。

永遠に抱っこする必要もない。

途中で誰かが泣き出すこともない。

夫婦二人だけの夜は、今思えばずいぶん贅沢な時間だった。

そして子どもが生まれた。

毎夜、寝かしつけという名の小さな戦争が始まった。

ようやく静かになったと思ったら、自分も一緒に寝落ちしている。

夫婦二人で庭に出て、ゆっくり酒を飲むなんてことは、ほとんどなくなった。

そういえば今年、BBQを一回もしていない。

かつて週5だった夫婦が、年間0回である。

人生は分からない。

でも、昨夜の風に吹かれながら、ふと思った。

BBQができなくなったからこそ、次にできた夜は、きっと昔より楽しい。

たぶん、肉は同じ味だ。

ビールだって同じ銘柄だろう。

庭も同じ庭だ。

でも、感じる幸福はきっと違う。

人間というのは妙なもので、「あるもの」にはすぐ慣れる。

健康なときには、健康であることをほとんど考えない。

ところが風邪をひいて鼻が詰まっただけで、「鼻で息ができるって、なんて幸せなことだったんだ」と思う。

腰を痛めれば、何の苦労もなく靴下を履いていた昨日までの自分が羨ましくなる。

眠れない夜を経験すれば、布団に入ってそのまま朝まで眠れることが、ずいぶん高度な幸福だったと気づく。

そしてきっと、時間も同じなのだと思う。

自由な時間がたくさんあった頃には、それを自由だとも思っていなかった。

妻とゆっくり話せることも。

庭で一緒に酒を飲めることも。

好きな時間に眠れることも。

それがずっと続くものだと思っていた。

当たり前というのは、少し厄介だ。

そこにある間は、ほとんど姿を見せない。

失いかけたときになって初めて、「ああ、ここにいたのか」と気づく。

だから、「幸せになるためには、不幸せが必要なのかもしれない」と少し前から思っていた。

もちろん、本当に大きな不幸まで必要だとは思わない。

できることなら、一生ご遠慮願いたい。

ただ、小さな不自由や、小さな不便や、小さな喪失は、ときどき我々の感覚を研ぎ直してくれる。

見慣れていたものを、もう一度見えるようにしてくれる。

つまり不幸せそのものに価値があるのではなく、

それまで見えていなかった幸せを、不幸せが照らしてくれるのだと思う。

子どもが生まれて、僕たちはずいぶん多くのものを失った。

自由な時間。

静かな夜。

思いつきで出かけること。

夫婦二人だけで過ごす時間。

庭で週5回BBQをするという、今考えれば謎の生活習慣。

でも、その代わりに手に入れたものもある。

昨夜、そのことを考えていたら、急に文章に残しておきたくなった。

忘れないうちに、と夜中にぱっと起き上がり、スマホにメモを打ち始めた。

横を見ると、息子たちが眠っている。

その隣には妻がいる。

暗闇の中でスマホを触っていたものだから、妻が半分眠った声で、

「何やってるの?」

と聞いてきた。

「ちょっとね」

とだけ答えた。

本当は、

「今、幸せについて考えてる」

と言ってもよかったのだけれど、

夜中の1時に突然そんなことを言い出したら、感動されるより先に「アホちゃうか」と言われそうなので、やめておいた。

窓からは、まだ夜風が入っていた。

庭でBBQはしていない。

夫婦でゆっくり酒も飲んでいない。

以前なら当たり前だったものは、今夜は何ひとつない。

でも、横には妻がいて、

二人の息子が眠っている。

考えてみれば、

失ったと思っていたものよりも、

ずっと大きなものが増えていた。

幸せというものは、案外こういうものなのかもしれない。

何かを手に入れた瞬間に大きな音を立ててやって来るのではなく、

いつの間にか日常の中に入り込み、

あまりに当たり前の顔をして隣で眠っている。

そして、ときどき吹く夜風が、その存在を思い出させてくれる。

コメントを残す

実名が公開されることはありません。

ABOUT US
koji(トレ​イン治療院 院長)はり・きゅう・あん摩マッサージ指圧師|国際中医専門員
大阪で治療院を開業して12年。 体は、その人の生き方や時間の積み重ねが静かに現れる場所だと感じています。 中医学を土台に、身体だけでなく心や生活の流れまで含めて整えていく。 そんな治療を大切にしています。 ブログでは、臨床の中での気づきや、体と向き合うための小さなヒントを、自分なりの言葉で書き残しています。 読んだ方の毎日が、少しでも軽くなれば嬉しい。
Back to top