私は時々、農園で畑仕事をします。
とは言っても、妻が管理をしている農園なので、お手伝い程度に参加をさせてもらっています。
(看板は自作です。我ながら上出来です。)
今年は、春に地を耕し、種を蒔きました。
そして、この夏は収穫の時期です。
2週間前はナス、ピーマン、シシトウ、キュウリを収穫。
1週間前はカボチャにトマトも収穫し、そろそろブロッコリーも収穫どきです。
さらに昨日は、こんなに大収穫。
(トウモロコシは貰い物)
〜種を撒かなきゃ実はならない〜
種を蒔かないと実がならないことは至極当然のことで、これは自然の原理です。
原理とは、棒の端を持てば、その反対側も持ち上がるということです。
物は上から下に落ちるということです。
雨が降らなきゃ虹はかかりません。
原理原則には必ず結果が決まっています。
しかしながら人は、人間関係においての原則は無視してしまう事が多いようです。
自然の原理原則を用いて人体に影響を与える事を生業(なりわい)としている者として、つまり思うことは、人間関係が上手くいかないときは、良い人間関係(果実)を求めているのに、良い人間関係を築く行為(種を蒔く)をしているようで、していないのです。
人ごとみたいに偉そうな記事を書いてますが、自分に言い聞かせるようにブログを書いております。
人間関係にも原理原則はある。
例えば、パートナーから愛を感じないという人がいます。
そして相手に対して
と言います。
愛とは「愛する」という動詞(愛するという種を蒔く)で、愛という「感情」は愛した結果に得られる実(愛情)なのです。
ちょっと怪しい宗教みたいになってきました。
勧誘ではないので安心して読み進めて下さい。
「私は相手を理解しようとしたし、優しくもした!でも相手は分かってくれないし、愛してくれない!」
それは本当に「あなたの求める実がなる種」を蒔いたのでしょうか??
もしかすると違う種を蒔いたのかもしれません。
だとすると、あなたの望んだ実(愛情)は絶対に得られません。
キュウリが食べたかったけどナスの種を蒔いて、「キュウリが欲しかったのに、なんでナスができたんだー!!」と嘆いているようなものです。
しかし、その種を蒔くことを選んだのは、紛れもないあなたです。
はたまた、正しい種は蒔いたけれど収穫がまだ早かったのかもしれませんね。
だとすれば、その実は見えないところで育っています。
根は外から見えないけど、土の中ではしっかりと伸びています。
だから、水をあげたり、余分な葉を切ったり、雨や、暑さ、寒さから守ってあげましょう。
どんな種を蒔いたのか、自覚は必要。
本当に良い関係を築きたいと心から思うのなら、その種を蒔きましょう。
蒔いた種は大切に育てれば必ず実ります。
自分では分かっているはずです。
どんな種を蒔いたかは、心の奥では分かっているはずです。
もう愛せない?
違います。
あなたは愛さないことを選んだのです。
あなたは種を蒔くことを辞めたか、違う種を蒔いてることに気がづいていても、気づかないふりをして、「種は蒔いた!」と自分に暗示をかけているだけかもしれません。
気づかないふりをしているということは、気づこうとしてないということです。
気づこうとするにはエネルギーが必要ですが、その努力を怠っているということです。
つまり、良い人間関係とは相手次第ではなく、全てが自分次第なのです。
人も自然の中で生かされている
東洋医学には「人体は小宇宙である」という考え方があり、人体の中にも自然の原理が存在し、その原理によってバランスが保たれているからこそ生きることができます。
つまり人間も自然の一部です。
人間だけが特別な存在ではなく、自然と調和して生きています。
だから、人間関係にも「調和の原理原則」はあるはずです。
この原理原則は、人間関係以外にも、自分の目標や、子育て、ビジネスなど多くのことにあてはまる原則なのかもしれませんね。
あなたは種を撒かずして実がなる事を願ってしまってはいませんか??
愛されたいと願うなら、愛するという種を蒔きましたか?
そんな事を自問自答する夏の野菜収穫でした。
では、最後に本音を一言申します。
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人間関係って、そんな簡単なことちゃうねん。
「愛情が無くなったから、もう愛せない。」